SUNDY GALLERY

60年代のジャズクラブ Village Vanguardのように

今日シャワーを浴びていて、ふとこんなことを思った。
世に語り継げられている音楽や伝説のライブとはどうゆうものか?
何の前触れもないままいろいろ考えた。

ダニ−ハサウェイの "LIVE" でもお馴染み、NYのビターエンドでのライブや
ビ−トルズのアップル本社屋上でのゲリラライブなど
世界中のあらゆる場所で神懸かりなライブ繰り広げられてきたが
僕がよく思うのは、同じ時代に自分が生きていてその場に居たかったと。

例を挙げて申し訳ないが、以前こんな事があった。
とある友人と、レッチリのライブで東京ドームへ行った時のこと。
開演早々大好きなジョンが、あのフリーが!アンソニ−が出て来て僕のテンションはアガった。
しかしそこで観たレッチリは、あまりレッチリの良さは伝わらず身体が反応しない。
簡単に言い換えれば、全く踊れなかった。踊ってる人も少ないように見えた。
決してレッチリの演奏が雑だったり散漫だったわけでもない。
しかしお世話にもいいライブとは言えなかった。心が躍らなかった。
自分の体調が悪かったわけでもない。

では何故か?で考えてみた。。

そう僕の出した答えは”距離”
単純にアーティストと自分の距離が遠かった。
僕等の場所はアリーナで、距離でいえば50~70m、座席で区切られてもいた。
決して悪い席ではない。むしろスタンドに比べたら良い席だ。
あ、そうそう "席”だった。ムムムムム...自由が無い。

僕はよくライブを最前列で観る。踊る。
誰よりも前へ前へと行く。好きなアーティストの時にはは特にそうだ。
写真を撮っている時も一緒だ。そしてそんな時でも所構わず踊ってしまう。
周りのスタッフや、お客さんから見たらおかしなカメラマンだ。
いや、気違いか。
しかし、そうしなければ楽しめない。日に日に僕は音楽ジャンキ−なのだ。
楽しみ方は人それぞれ違えど、それが僕の楽しみ方。
もちろん酒も飲んで酔っ払う。セックス&ドラック(アルコ-ル)ロッケンロ-ルの日々だ。

話しを戻すと、その物理的な "アーティストと自分の距離が遠い" ことに
歯痒さを感じると伝わる力が少なくて楽しめない。
気持ち的な一体感だったり、距離も同じ事。
シャワーを浴び終わった頃には、この結論に達した。

ミュージシャンは夜な夜なセッションを繰り返し
込み上げてくる感情を解放し、人々は熱狂する体験する。
同じ時代に生きる。

かなり大袈裟かもしれないが、
つまり僕らの時代の神懸かり的なライブや世に語り継げられるであろうライブは
犬式やクロマニやらぞくやダチャンボがそうであるように
言葉やジャンルは違えど
今や日本のアンダ−グランドなシ−ンで体現している音楽家たちが、そうなのだ。
僕の今言いたい事はこれなのです。

ということで、
明日はその込み上げてくるまさに熱狂する感じをクロマニヨンとアフニカに期待するとしよう。

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by sundy-photo | 2008-11-29 13:03 | 音楽